プロフィール


*窯主、濵田伸一 はまだしんいち          

*生年月日は1953年5月1日

*出身地は兵庫県神戸市灘区
*血液型はB型でおうし座
*職業は陶工

*1976年、大学の建築学科を卒業、備前市の南燦窯(なんざんがま)へ研究生として入所し,備前焼の道に入る。その後、備前焼窯元(株)松園へ入窯。

*1986年、倉敷市船穂町(旧、浅口郡船穂町)にて初窯を焚く 。須恵器(すえき)風のものを焼いていた。

*焼き物を始めて4~5年経ったころ、当時の邑久郡牛窓町(おくぐんうしまどちょう)の「寒風古窯址群」へ行った時のこと、そこは7世紀初、須恵器の製陶が盛んに行われた丘陵地で,そのときは斜面の畑に白菜がお行儀よく並んでいました。よく見ると,畠地には小さな須恵器の陶片がいっぱい散らばっていました。畑の隅にはコブシ大の窯の天井部も転がっていました。1300年以上の年月で、窯出し後の須恵器(傷になったもの)は打ち捨てられ,廃窯後は地元のお百姓さんに鍬で打ち砕かれ、土に帰りつつ、今、白菜を育てている。須恵器に対する愛おしさ、感動を覚えました。須恵器との出会いです。

1986年初窯、須恵器風蓋坏
1986年初窯、須恵器風蓋坏

*この須恵器との出会いが、今の僕の仕事の礎になりました。「地元の山土」を使い「穴窯」による「焼き締め」です。はじめの頃は「還元焼成」していましたが、今は酸化で焼いています。

「須恵器」(すえき):5世紀はじめ、古墳時代の中ごろに朝鮮半島から新しい技術家集団が渡って来ました。その中に特別な技術を持った陶工達がいました。日本には古くから土器を焼いていましたが、半島から伝わった焼き物は土器とは違い堅固で、金属器のような物もありました。それは「ロクロ」と「窯(穴窯)」を用いたからです。かなり急勾配な窯で、窯焚き終盤から焚き木、枝、葉を大量に投入して窯の口を閉じる、還元焼成です。どこか刀剣の焼入れに通じるものが有ると思います。炭、炭素、一酸化炭素、酸化第一鉄。が、キーワード。「須恵器」は、「焼き締め」なのです。